寒中見舞い、悲しみの連絡
と言っても、もちろん連絡網もありません。自分の交友関係はともかくも、妻の交友関係は年賀状や手帳から主だった(と思える)人をピックアップして、その人に「周辺の連絡を頼む」しかありませんでした。もし時間があるのなら、年賀状や手帳の全員に連絡すればいいのでしょうが、とてもじゃないですが、そんな時間はありませんでした。
ちなみに後で聞くと、妻の親友達は、その日は一日中、携帯と電話で格闘してくれたそうです。ありがとうございました。
余談ですが、緩和ケア病棟でも亡くなった後のご遺族が年賀状をひっくり返して携帯片手に連絡しまくっている姿を何回か目撃いたしました。
とにもかくにも、そんな感じで連絡を行い、妻のお葬式を行ったのですが、それでもやっぱり漏れは出てくるものです。お正月に何通かの「年賀状」を頂きました。つまり、未だに「妻の死」を知らないのです。その葉書に書かれたコメントを見ると、きっと妻とは仲が良かったんだろうなあと思える人もいて、胸がつまりました。
連絡したら驚いてしまうだろうなあ・・・
そんな人たちに、「妻が死んだ」と伝えるのは気が重いことでしたが、そうは言っても伝えるしかありません。日本の儀礼では寒中見舞いで知らせるので、先週、
↓のような葉書を出してみました。

寒中見舞いを出してから数日。その葉書を受取った方から電話がありました。寒中見舞いを見たときは、「息が止まりそうなくらい驚いた」とのことで、「知らなくてごめんなさい、ごめんなさい」と電話中ずっと泣いてました(もちろん連絡がいかなかったので、知らないのは当たり前なのですが)。
妻との関係を聞くと、学生寮で一緒に過ごした仲間だったそうです(どうやら寮仲間がごっそり連絡漏れでした)。僕もお電話を頂き、また胸がつまり、最後に「近いうちに是非お参りに伺いたい」旨を承り、電話を置きました。
そういえば、妻が生前、寮仲間に「麻婆春雨」を振舞った話をしてくれたことを思い出しました。もしかしたら、今日電話くれた人は、その中に居たのだろうか?と思わず普通に聞いてみたくなりました。でも、わかってはいるんだけど、本当にいなくなってしまったんだね。もう会話ができないこと、本当に逝ってしまったこと、電話の後で僕もまた一つ実感しました。
寂しいですが、
「今度、寮のお友達が来てくれるみたいだよ」
お線香焚いて、天国の妻に報告するしかありませんでした。
きっと届いたよね。