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寒中見舞い、悲しみの連絡

妻が亡くなった翌日は、悲しむ暇もなく、お葬式の準備をしなければなりませんでした。段取りを決めるのも大変ですが、さらに大変なのが連絡です。短時間(実質1日)で、あらゆる人に連絡する必要があります。

と言っても、もちろん連絡網もありません。自分の交友関係はともかくも、妻の交友関係は年賀状や手帳から主だった(と思える)人をピックアップして、その人に「周辺の連絡を頼む」しかありませんでした。もし時間があるのなら、年賀状や手帳の全員に連絡すればいいのでしょうが、とてもじゃないですが、そんな時間はありませんでした。

ちなみに後で聞くと、妻の親友達は、その日は一日中、携帯と電話で格闘してくれたそうです。ありがとうございました。

余談ですが、緩和ケア病棟でも亡くなった後のご遺族が年賀状をひっくり返して携帯片手に連絡しまくっている姿を何回か目撃いたしました。

とにもかくにも、そんな感じで連絡を行い、妻のお葬式を行ったのですが、それでもやっぱり漏れは出てくるものです。お正月に何通かの「年賀状」を頂きました。つまり、未だに「妻の死」を知らないのです。その葉書に書かれたコメントを見ると、きっと妻とは仲が良かったんだろうなあと思える人もいて、胸がつまりました。

連絡したら驚いてしまうだろうなあ・・・

そんな人たちに、「妻が死んだ」と伝えるのは気が重いことでしたが、そうは言っても伝えるしかありません。日本の儀礼では寒中見舞いで知らせるので、先週、
↓のような葉書を出してみました。

寒中見舞い

寒中見舞いを出してから数日。その葉書を受取った方から電話がありました。寒中見舞いを見たときは、「息が止まりそうなくらい驚いた」とのことで、「知らなくてごめんなさい、ごめんなさい」と電話中ずっと泣いてました(もちろん連絡がいかなかったので、知らないのは当たり前なのですが)。

妻との関係を聞くと、学生寮で一緒に過ごした仲間だったそうです(どうやら寮仲間がごっそり連絡漏れでした)。僕もお電話を頂き、また胸がつまり、最後に「近いうちに是非お参りに伺いたい」旨を承り、電話を置きました。

そういえば、妻が生前、寮仲間に「麻婆春雨」を振舞った話をしてくれたことを思い出しました。もしかしたら、今日電話くれた人は、その中に居たのだろうか?と思わず普通に聞いてみたくなりました。でも、わかってはいるんだけど、本当にいなくなってしまったんだね。もう会話ができないこと、本当に逝ってしまったこと、電話の後で僕もまた一つ実感しました。

寂しいですが、
「今度、寮のお友達が来てくれるみたいだよ」
お線香焚いて、天国の妻に報告するしかありませんでした。
きっと届いたよね。

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最後のひと磨き、久しぶりに飲み会に参加

仙台の笹かまぼこ
今日も同じマンションのMさんからお土産を頂きました。「仙台の笹かまぼこ」です。好きなんですよね~。こんがり焼いて、わさび醤油とビールで至福のひと時を過ごしました。ありがとうございました。


今週日曜日、久しぶりに飲み会に行って来ました。正式名称は忘れましたが、その趣旨は「独立して起業した人の会」ということで、まあ一種の異業種交流会です。誘ってくれる友人がいて、参加してきました。子供達はどうしたか?というと、実家の母に上京してもらいました。助かりました。ありがとうございました。

さて、何でそんな飲み会に参加したのか?というと、一言で言うなら「ちょっとビジネス的な刺激が欲しかった」という感じでしょうか。その理由を今から話してみますね。

僕は自分で言うのも何ですが、左脳人間なんです。ビジネスでも何でも、わりと論理的に考えてから実行する。(亡くなった)妻は右脳人間で、論理というよりも直感が優れていた。だから、僕が色々とあーだこーだと考えて苦労して苦労して、やっと辿りついた結論を、彼女があっさりと「そんなの知ってたよ」と言われることがよくありました。

「何で知ってるの?」と僕が聞いても、そこに論理の積み重ねが無いから、彼女は理由を明確には言えないのですが、「だって、そうに決まってんじゃン」みたいなことを平気で言ってましたね。

まあ、左脳人間にとっては脱力する瞬間でもあります(笑)。

でも、僕が独立して自宅で一人で仕事するようになってからは、妻がある意味でビジネスのいい相棒にもなりましたよ。もちろん妻は、僕の仕事内容については全然詳しくなかったのですが、それでも、僕が「今度こんな感じでやってみようと思う」と話すと、どういう直感が働くのかよくわかりませんが(苦笑)、妻は「それはいいよ」「それはちょっと駄目」とか意見を言ってくれて、不思議なことに・・・・・

その直感があたるんですよ(苦笑)。

だから、僕は自分のビジネスで、例えるなら彼女を最後の研磨師と思っていました。熱い鉄を打ち形を整えるのは僕、最後の「ひと磨き」は彼女、そんな役割分担でした。

彼女が亡くなり、僕がビジネスを再開して10日経ちます。大枠で言うと、ほとんど今まで通りの仕事が出来ているのですが、でもね、やっぱり彼女がいないと最後の「ひと磨き」が足りない気がする。なんか「切れ味が悪い」まま出荷するという感じなんですね。

そこで、今回の異業種交流会への参加となったわけです。

この交流会では、皆が皆、独立して自分の事業を手がけています。お互いに「今、こんな事業をやってます」「こんなことやったら失敗しました」「この方法はうまくいきました」と発表し、そこに周りのみんながツッコムという会合です。

そのツッコミが・・・
きっと最後の「ひと磨き」になるはずだ、というのが、今回の僕の作戦でした。まあ確かに皆から「ひと磨き」してもらいましたが、それで本当にうまくいくかどうかは、もちろん別問題。でも、とりあえず色んな方とも知り合いになれたし、またなんか新しい展開もあるかもしれません。

そんな感じでしたね。
久しぶりに少し酔いましたよ。

ではでは、またビジネスに邁進しますね。

ありがとうございました。

歩くのが困難になった頃

妻のお友達が(写真の)お花を持ってお参りに来てくれました。

先週金曜日は、妻の四十九日でした。妻のお友達が(写真の)お花を持ってお参りに来てくれました。本当にいつもありがとうございます。妻もきっと喜んでくれていますし、私も例によってご近所や学校情報を仕入れさせていただきました。心から感謝です。

さて今日は、1年前つまり2009年1月の頃を思い出したので書いてみます。思えば、この頃から妻が歩けなくなり、我が家の生活も激変していました。

まず「何故歩けなくなったのか?」

と言うと、最初は抗癌剤の影響による貧血。健常者には想像もつかないと思いますが、貧血が進むと普通に歩くだけでも息苦しくなってしまいます。

しかもたった2,3歩です。

それで「ゼーゼー」と呼吸困難になって、(登山用の)酸素ボンベをあてて急場を凌ぐ、そんな感じで過ごしていました。それが2008年12月~2009年1月頃の状況だったでしょうか。

さらに2009年2月になると腰と足の骨転移が進んでいることがわかり、骨折予防も含めて自宅用の車椅子を購入しました。車椅子を使って初めてわかったのは、たった1cmの段差であっても車椅子では移動が異常に困難になってしまうこと。

車椅子を押し切れないのです。

だから例えば、妻がお風呂やトイレに行く場合は、まず車椅子でお風呂やトイレの段差直前まで移動し、そこで手を貸して起き上がりゆっくりと歩く。

そんな感じで移動してました。

まあ、それが特に調子の悪い時の状況かな。しかしながら、(2009年1月~2月頃は)何故か極端に調子が良い時もあって、その時は全く普通に歩く事もできたし、なんと無理してスキーに行ったこともありました。(苦笑ですが、でもスキーは本当、いい思い出になりました)

だから好調の彼女を見た人は「治った」と思い、不調の彼女を見た人は「本当に大丈夫?」と心配したようです。全く不思議なのですが、そういう極端な好不調の波があった時期でした。

でもね、そういえば、どんなに調子がいい時でも階段だけは昇れなかったです。これも不思議なのですが、スキーをやるくらい調子がいい時であっても、スキーのレストハウスの2階に昇ることができない。階段1段昇るのに、5秒くらいかかるのです。

たぶん「階段昇る」って人間にとっては凄い負荷らしいです。

素人考えからすると、階段昇るよりもスキーのほうが、よっぽど体に負荷がかかるような気もするのですが、妻は「スキーより階段登るほうが辛い」と言ってましたね。

さて、そんな状況になってきたので、私もこの頃に仕事の方法を少し変えました。それまでは1週間に2,3日は外出していましたが、全ての仕事をインターネットで出来るように工夫し、自宅で家事をするようになりました。

また、この時期から義母が1週間のうち2~3日は来てくれるようになり、都合が悪い週は僕の母が来る、そんな生活パターンになりました。本当に周りに支えられ感謝です。ありがとうございました。

そんな状況でも、妻は(たぶん努めて)明るく生活していましたが、たまにポツリと「私、もう一生、歩けなくなるのかな」と漏らすこともあり、寂しそうでした。そんな時は僕も辛かったです。

でも、ここからまだまだ癌と闘うぞ、絶対に治すぞって意欲満々。悲しい時もありましたが、基本的には楽しい生活でしたね。

そんなことが思い出されました。では、では、そろそろ筆を置きますね。
読んで頂き、ありがとうございました。

あっ、そうそう、このお話には前置きがあるので、
こちらの前置き
もクリックしてお読みください。

お弁当デビューのはずだったが

今日は長男ユータが社会見学だった。だから、僕は(初めて)子供のお弁当を作らなければならなかった。シングルファーザーにとっては、かなりの一大イベントだ。頑張らなくちゃな~と思いつつも、実は、

少々頭が痛い・・・知恵熱出そう!

だってね、そもそも小学校5年生のお弁当ってどんなのがいいのだろうか?と、ネットで検索してみると、定番は「から揚げ」「卵焼き」「ポテトサラダ」「アスパラのベーコン巻き」「キンピラ」とか出てくる。「まじか~?これ朝から作るンかいな?」と少々頭が痛くなった次第だ。

もう面倒だから、セブンイレブンのサンドイッチ買って持たせようか。そんなの、アイツ(ユータ)だけかなあ、ちょっと可哀想かも。友達に突っ込まれたら「レタスはシャキシャキだよ!」って、ギャグで返せるだろうか。アイツにはまだそのセンスは無いだろうなあ。

とかなんとか、色々考えていると、またしても天の助けが。妻の友人でユータと同じクラスのお母さんが気を使ってくれて、連絡が来たのだ。

「お弁当、良かったら一緒に作りますよ」って。

もう、ほとんど声が裏返って「えっ?よろしいんですか?」(おいおい)と、またしても二つ返事でお願いしてしまった。でね、さらに驚くというか嬉しいことに、その後で別のお母さんからも同じ連絡があって、気を使っていただいたのです。

結果、とりあえず僕の弁当デビューは延期となりました。

もう周りの皆さんに感謝感謝です。
本当、助かりました。

それにしても、こんなに助けてもらっていいのだろうか。いくら何でも甘えすぎかな。

もちろん、ここで一番いけないのは、これを僕が当然のことと思ってしまうことだ。どんなに慢心しても決して当然と思ってはいけない。こんなに助けてもらえるのは妻の人徳のおかげだし、周りの皆さんの異常な優しさのおかげ、

「感謝しなければ、感謝しなければ、慎まなければ、慎まなければ」

そう心の中で繰り返し、決して「当たり前」と思わないように今日このブログに書いてみました。
本当にありがとうございました。

四十九日を終えて決心したこと

妻の四十九日を終え、僕は一つ決心しなければならないことがある。

それは、「仕事」のこと。

実を言うと、「仕事」は去年の10月に全てをキャンセルしてから、今にいたる4ヶ月間何もしていない。(変な言い方だが)仕事をしなかったことは本当に良かったと思っていて、妻の最後の闘病生活を完璧に一緒に(仕事に邪魔される事なく)過ごすことが出来た。

だから後悔がない。It's my pleasure.

だが、(現実的には)この4ヶ月だけでも3枚の請求書がきていたりする。それは入院・治療費用、民間療法で中国からとりよせた漢方の抗癌剤等々の費用、それに御葬式代、

あわせて500万円超になる。

幸いにも、今までの貯金、親族の援助や香典で払う事はできるが、それでも、ニコニコと屁でもなく笑って払えるほど僕は金持ちでない。だから、そろそろ、いやとっくに仕事を再開しなければならなかった。

・・・・が、しかし、である。

ずっと仕事をやる気がおきなかった。(仕事以外の)育児と家事は、どうしても必要に迫られるから、強制的にスタートせざるを得なかったのだが、こと仕事に関しては、幸か不幸か、僕は独立して仕事をやっているので、何も強制力がない。

毎日、毎日、仕事をする時間になっても、なんか昔の写真を見たり、動画を見たり、人生って何だ?って考えたり、このブログ書いたり(苦笑)と、適当にダラダラと時間を使って過ごしている。

妻が亡くなったばかりのころは、何かそうやって過ごすのが妻の供養にもなる気がしたのも事実である。だって、僕は美味しいものも食べれるのに、妻は食べれない。僕は仕事できるのに、妻はできない。僕は普通に生きているのに、妻はもういない(涙)。

だから、当然僕も何もしないほうがいい・・・みたいな。

でも、最近やっと落ち着いて冷静に考えると、たぶん妻はそんな事は望んでいないだろうと思うようになった。むしろ逆なんじゃないかと。ただ毎日をダラダラと過ごすよりも、毎日を「けじめをつけて善く生きる」、これこそが妻の望みであり、あの闘病生活から学んだことではなかったのか?と。

僕の場合、毎日を「けじめをつけて善く生きる」ためには、当然仕事が必要となってくる。いや、現実的にも仕事でお金が入ってこないことには、いつかは経済的に生活が行き詰ってしまう。

今、ちょうど妻の四十九日も終わった。少し一区切りするにはいい時期だ。だから、明日から仕事を再開しよう。がんばらなくちゃね。今日は、そんな気持ちを整理するためにも、ここに文章を書いてみました。

テーマ : パパの育児
ジャンル : 育児

四十九日の法要

早いもので、昨日は妻の四十九日の法要でした。正確な四十九日はもう少し先になるのですが、
・法要はそれ以前に行えば良いこと、
・親戚が集まりやすい土曜日だったこと、
・何より妻の誕生日だったこと、
そんな事情が重なって昨日法要を行う事になりました。

法要場所は、僕の実家のお寺。これは全く個人的な感覚なのですが、僕は「雪」と「山」と「お寺」を見ると何故か心が洗われる。大晦日の「ゆく年くる年」で雪の永平寺が中継されると、何故か不思議とジーンとなる。
今回、奇しくもそんな状況が揃ったわけで、そこで聞く和尚様のお経は何か清々しいものがあった。(お葬式の時のお経は、ただただ悲しかったのに・・・)

一応、四十九日の意味合いを説明すると、この日をもって妻は現世に別れを告げ、極楽浄土に旅立って行くらしい。そう考えると何だか寂しい気がしないでもない。
でも妻が、あちらの世界で全く苦しむことなく、(流産で)亡くなった二人の女の子と幸せに暮らしながら見守ってくれているのかなあと思うと、それはそれで安心できる気もする。

今頃、極楽浄土の天国に着いたのだろうか。
(着いてるよね、きっと。)

「今度、夢でいいから様子を聞きたいな~。」って、
お寺の雪山に向かって、そっと呟いてみたのだった。

テーマ : 男の子育児
ジャンル : 育児

お裾分けいただきました

「あ~、今日も夕飯を作らなくちゃなあ」と思っていたころ、ピンポーンってドアベルが鳴った。Mさんから「良かったら、食事のお裾分けありますよ」とのこと。もう例によって二つ返事で全部(肉じゃが、かぼちゃの煮つけ、じゃこ炒め、イチゴを)受け取ってしまった(苦笑)。

先日のお食事会でMさんとは色々な話をしたんだけど、妻がいなくなって我々が食事の用意によっぽど困っているように見えたのかな?(たぶん、見えたんだろうなあ)本当に申し訳なく思うわけだが・・・・

正直、すっごく嬉しい。

食費が助かる(もちろん、それもあるが)というより、何と言っても「食事を作る手間」が省けるのが一番嬉しい。

自分で言うのもなんだけど、僕の仕事はクリエイティブな作業なわけで、ある意味「芸術家?」なんですね。だから一旦仕事をやり出したら、全てを後回しにして(食事も後にして)仕事に没頭したいときがある。そんな時に料理を作ると、料理もある意味クリエイティブなわけで、頭が混乱してしまって仕事にならないんですね。(おいおい、ホンマかいなー?自分で言ってて、なんだか可笑しくなってきた)

すみません、とりあえず屁理屈は置いておきますね。

とにもかくにも、食事を作るのが面倒ならば、
スーパーで惣菜を買ってくればいいのでは?

という疑問があるかもしれない。でもね、スーパーの惣菜にはどうも抵抗がある。というのは、妻が闘病生活をやっている時に勉強したことで、添加物やら防腐剤やらが凄く体に悪い、ということが僕の頭にはインプットされているからだ。どうもスーパーの惣菜は、そうそう買う気にはなれない。結果、こういう、いわゆるお母さんの手作りの料理の差し入れは、色んな意味で、

本当に嬉しい。

感謝して、温めていただきますね。
ありがとう、ありがとう。

今日も、なんとか無事終わりそうです。


テーマ : パパ育児日記。
ジャンル : 育児

ゆとり教育が終わったらしい

今日は火曜日。東京は、この冬一番の寒さ、そして雨(雪)。
小学校2年生のピースケが午後3:00に帰ってくる(と思っていた)。

しかし、午後3:30になっても何故かピースケが帰ってこない。
「コンビニで、あんまんの買い食いでもしているのかな~?」
「もう説教だ(怒)!」と思って待つことにした。

でもね、待てど暮せど午後4:00になっても帰ってくる気配もない。
「まさか誘拐されたんじゃ?」とムッチャ心配になって、もう我慢できない。この寒い雨の中、ヒートテック、タートル、セーター、マフラー、手袋、コート、傘の完全防寒(めんどくせー)で探しに行こうとしたら、

「ただいま~」とピースケが帰ってきた(まずは一安心・・・)。

私:「おい、どうしたんだよ?」
ピースケ:「だって今日6時間授業だから、午後4:00だよ」

「へっ?」

小学校2年生って、
長くても5時間授業で午後3:00帰りじゃなかったの??

さっそく妻のママ友に聞いてみると、何でも「ゆとり教育」が去年で終わって、今年から授業時間が長くなったとのこと。その初日が今日だったらしい。「へえー、そうだったんですか」と言うしかなかった。たぶん学校から連絡があったんでしょうね。僕は例によって?見逃していたようだ(苦笑)。

それにしても、そーかー、あの「ゆとり教育」終わったんだ。

そういえば、最近ゆとり世代が社会に出てきて、「嫌なことがあって仕事を休みました」「昨日彼氏とケンカして笑顔になれません」(まー気持ちがわからんでもないが)な~んて平気で言う若い人がいるとか。
(注意:↑これは一応、噂ですよ。)

ほんまかいな?

という気もするが、僕の友人で会社の人事をやっている奴が、同様のこと言っていた。まあ、「ゆとり教育」だから、というわけではないだろうが、自分の子供はそんな風になって欲しくはないなあ、と思ったところ。

そのためには、やっぱ家庭の教育なんだろうな~。

責任重いなあ。

がんばれ自分!!

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Mさん宅でお食事会

昨日はMさん宅で、お食事にお呼ばれしてきました。
ありがとう、Mさん。

でね、そのことで前日に悩んだ話は↓でしたわけですが・・・・
http://john1.blog100.fc2.com/blog-entry-3.html

お食事に呼ばれるにあたって、「お土産どうしよう?」というのが課題でした。で、色々と考えているうちに、そういえば昔、M旦那さんが大河ドラマの「風林火山」を観てるという話を妻がしていたのを思い出したんですね。

そうか~、待てよ。ああいうドラマが好きということは、時代劇が好きということだよね。ということは時代劇の決定版「鬼平犯科帳」も好きだろう、と(ムチャなこじつけで)お土産に「鬼平犯科帳」の漫画を買って持っていくことにした。

実は、その昔、僕も義兄に「鬼平犯科帳」を渡されて、一時はまったことがある。だからきっとM旦那さんも、はまるのではないか?と勝手な妄想が膨らみ、「鬼平犯科帳」のベスト版の漫画を買いに行った。

「う~ん、大丈夫かいな、これで!?」

駄目だよね。こんな漫画一冊じゃ。小学生のお誕生日会じゃあるまいし。結局、ジュースとお酒も買い込んで、漫画はアクセントとしてお土産に持っていきました。

で、17:00。
ピンポーンってMさん宅にお邪魔してきました。「やだー、そんなのいいのに」とMさんらしいお出迎えで、お食事会がスタート。Mさんご夫婦とは年代も同じだし、子供たちも全員小学生だし、昔仙台に住んでいたという共通点もあって、お酒も飲んで大いに話がもりあがりました(Mさんご夫婦はお酒好きでした)。

で、「鬼平犯科帳」はどうなったのか?もちろん個人的趣味があるので、読んでくれても読んでくれなくてもどっちでもいいのですが、それは後のお楽しみと。

沢山ご馳走になったうえに、帰り際には、色々なものをたっぱに詰めてもらって頂き、本当にありがとうございました。楽しかったです。

(たっぱチンすれば、明日も食事を作らなくてもいいかも、苦笑)

お食事のご招待で悩んでいる話

現在22:00です。今、傍からみたら、たぶん「アホらしい」ことで悩んでます(苦笑)。ちょっと書いてみますね。

同じマンションにMさん一家が住んでいます。
Mさんも小学生の息子二人がいて、(妻が生前時の)我が家とは同じ家族構成です。

そのMさんは、こんなに優しい人がいるのだろうか?と思うくらい良い人なんですね。だから、妻が闘病中も何かとお世話になったし、凄く心配してくれたし、妻が亡くなった時は号泣してくれました。


で、その優しいMさんから、今日のお昼に電話がありました。
「明日、我が家でお食事しませんか?」と。

子供たちの食事を毎日作っている私ではありますが、
そりゃ正直なところ、食事を作るのは面倒なんです(ごめんね、子供たち)。

だから私は、もう二つ返事で、
「えっ?よろしいんですか」と嬉々として叫んでしまった。

Mさんは、
「じゃあ、明日17:00に子供たちと身一つで来てくださいね」と。

私は
「はーい、ありがとうございます」と電話を切った。


でね、現在22:00。

よーく考えたら、いくら何でも身一つで行って、
タダで食事をご馳走になってくるわけにゃーいかんだろう、と(遅い!!)。

たぶんMさんは、我が家のことを非常に心配してくれているので、
「身一つで食事に来てください」
というのは本当に本心だとは思うんですね。

でもね、そーは言っても、そりゃ駄目でしょ。
やっぱり。人として。
「親しき仲にも礼儀あり」とも言うし。

もし妻がいたら、次回は我が家にご招待ということでOKだとは思うんですが、もう、そういうわけにもいかないから。だったら、せめて何かお土産をもって行かなくちゃいけないよね。

あーなんで、あの電話の時、せめて
「あっ、じゃ、こちらでお酒は用意しますね」
ぐらい言えなかったのか。後悔。

いや、まてよ。
あのご夫婦、そもそもお酒飲むのかな~?
飲まないような顔してるなあ。

だったらジュースか?
いや、それじゃあ、足りないよね。
まさか現金なんかもってったら失礼だし・・・・


と、まあ、こんな堂々巡りで悩んでいる次第であります。

もし妻が居たら、こんなアホなことにならなかったんだろうなあ。
ってか、妻がいたら、こういうことは妻がやること・・・・
と我が家では役割分担されていたから。

まあいいか、明日の朝考えよう。

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ブログスタートにあたっての前置き

今からさっそくブログを書こうと思ったのですが、現在闘病中の方に対し一つだけ前置きをすべきと気がつきました。だから、ちょっとだけ聞いてくださいね。

僕の妻は4年半の闘病の末に亡くなりました。このブログでも闘病中の思い出話をすると思いますし、もしかすると家族が辛そうに見える場面もあるかもしれません。

でもね、その時に「やっぱり家族に苦労をかけたくない」とか、ましてや「私がいないほうがいい」なんて絶対に思わないで欲しいのです。それは間違いですから。

「生きて欲しい」

これが家族の願いです。例え末期癌であろうと奇跡を起こした人は何人もいます。妻はたまたま亡くなりましたが、癌の症状は人によって全く違います。あせらずゆっくりと前向きにがんばって欲しいのです。そりゃ傍から見ると「大変だな~」と思う事もあるかもしれませんが、闘病は迷惑でも何でもないですからね。むしろ、それは

「It's my pleasure」

新しい発見もあるし家族の絆も深まるものですから。だから、もし闘病中の方がいらっしゃいましたら、どうぞ堂々と家族に甘えてくださいね。それも家族の喜びですから。

以上、そこだけ気になって前置きさせていただきました。
ではでは、このブログをスタートです。

テーマ : 育児日記
ジャンル : 育児

プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

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