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4月26日、中国から帰国

朝5:00に起床。
上海から9:00の飛行機で帰国予定だが、最後に小話を一つ。

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中国では、(コンビニなどで)サントリーの烏龍茶も売られている。だいたい50円くらいで安いのだが、写真のように「砂糖入り」と「無糖」と二種類がある。

こちらでは、お茶に砂糖を入れて飲む習慣があるらしい。まー、烏龍茶ならわからないこともないが、なんと緑茶でも砂糖を入れるとのこと。

日本じゃ考えられないが、「甘くて美味しい」ということらしい。それじゃーお茶の味が台無しでしょ?と言いたくなるが、日本でも昔は「甘いだけのジュース」が売れていて、だんだんと素材の味や健康を意識するようになったから、そのうち変わるのかもしれない。

では、そんな小話を最後に飛行機に乗りますね。

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飛行機から、富士山を撮影。やっぱ富士山はいい。

無事、帰国しました。
短い旅でしたが、やっぱり現地に行くと色々感じることがあります。有意義でした。

ありがとうございました。

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テーマ : 海外旅行
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4月25日、中国2日目(杭州)

中国2日目は、中国の友人に会うため上海から杭州に向かう。杭州は上海から200kmくらい離れた大都市で、上海とは新幹線で結ばれている。ただし、ここに一つ問題がある。それは

自分一人で杭州まで行けるのか?

ということ。中国では、日本語は当然だが英語も全く通じない。そんな中で、しかも初めての土地で、僕は杭州までいけるのだろうか?ちょっと不安ではある。

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とりあえず切符だけは、友人から郵送してもらった。ちなみに、この切符を現地で買うと800円くらいだが、日本の旅行代理店で買うと1万円もする(ぼってるな~)。

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タクシーで駅まで行き、頼りは電光掲示板だけ。

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どうやら、この新幹線らしい。

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無事、予約席に到着。意外と綺麗で嬉しい。

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杭州では、友人の案内でレストランに。

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この麻婆豆腐、3元(50円)ですよ!

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あと、色々な料理を頼む。美味しかった~。でも、とても2人で食べきれないので残す。

中国では沢山頼んで残すのが文化。エコじゃないなーと思うが、「郷に入っては郷に従え」ということで、今回も残した。そういえば、ドバイでもそういう文化だった。

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中国では、食事の最後に必ずスイカが出てくる。

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食事の後は、観光地の「西湖」に行って、男2人でずっと話す。

その昔、その友人(の彼)は僕の部下として働いていた。本当に優秀な人でした。今は中国に戻り、中国と日本の合弁会社を新しく作って、現在その会社で部長やってます。

もう雲の上の人(笑)。

一般的に中国の会社では社長のことを総経理と言うのですが、
彼の合弁会社の総経理は日本人がやっていて、彼は、そのすぐ下。

つまり、彼は実質中国人のトップやってるんですね。部下は総勢100人。

彼が日本に居たころは、1DKの狭いアパートに単身で住み、いつも日本語や仕事の勉強ばかりして、凄く苦労してました。しかし今では、高級マンションも車も購入したとのこと。だから、今こうして彼の車で観光させてもらえてる。時間的余裕もあるし、家族とも暮らして幸せそうでした。

彼はチャイニーズドリームの体現者なのです。

なんかね、そんな話をしていたら、昔一緒に苦労した時代を思い出して泣けてしまった。

「よかったなー」

って感慨深かったです。そういう彼の姿を見ていると、中国人とか日本人とかに関わらず、成功している人って、必ずどこかで苦労しているんじゃないだろうか。苦労しないで成功する人っているのだろうか?とも思った。

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さて、そんなこんなで「あっ」と言う間に時間が過ぎて、同じ新幹線に乗って上海のホテルに戻ってくる。

明日は帰国。

短い期間だったが、上海と中国のエネルギーを感じることができた。確かに中国は色々問題もあると思うが、(友人の)彼のように苦労して勉強する人もいるわけだし、日本のように環境が整っているのに勉強しない人が増えていることのほうがよっぽど問題だろう。

彼とは、いくつか仕事の話もしてきたので、また行く機会がある。今日は、すがすがしい満足感とともに眠りにつきました。

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4月24日、中国1日目(上海)

昨夜、成田から3時間半のフライトで上海に到着しました。この近さは本当に気軽で嬉しい。今回の旅行はツアーなので、上海空港でツアー仲間12人と初対面のご挨拶をして、ホテルに向かいました。今まで僕はツアーで海外に行ったことがなかったのですが、(後述しますが)ツアーもなかなか良いなーと思った。

さて、ホテルにチェックインしてインターネットにアクセスしたが、ここで驚いたことがあった。なんと、

中国では、(この)fc2ブログにアクセスできないのだ。

中国がインターネットのアクセス規制をしている話は有名だが、まさかfc2ブログが、その対象になっているとは思わなかった。他の日本のブログは大丈夫なようだが、何故かfc2ブログだけは中国で規制対象になっていた。(誰か、ヤバイ話を書いたのだろうか?)その原因はわからないが、とにもかくにもブログには全くアクセスできない。

だから、実を言うと、このブログは日本に戻ってきて書いている。ちなみに、僕が確認した中国のアクセス規制は、ツイッターとYouTube、この二つは完全にシャットアウトされていた。

他にも、日本語のgoogleサイトから「上海 気温」と検索しても、アクセス拒否になってしまった。朝ホテルから出かける時、その日の気温を知りたくてアクセスしただけなのに、全く困ったもんです。こんな感じで、中国では種々のネット規制がある。

仕方がないので、yahooから上海の気温を調べてみると、こちらはちゃんと表示された。気温20°の快晴。絶好の観光日和。ここから超過密バスツアーが始まった。

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まずは水郷の街・七宝へ。上海を含む中国の江南地区は、昔から水の街として発展し、今もその面影を残す。

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近くで見かけた食堂のメニュー。1元は14円くらいなので、ラーメン一杯が100円くらい。「安い!」でも、ここは観光地なので、実を言うと中国の中では「バカ高い」部類に入る。

街中に行けば、10円のラーメンや5円くらいの肉マンが至る所で売られている。それを食べていいのかどうか?は勇気ある人に託すことにする(苦笑)。

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次は「シルク工場」の見学。ツアー側の作戦なのだろうが、このシルク工場を見学した後、シルク製品の販売が行われた。

思わず僕も、シルクの掛け布団を買ってしまった(苦笑)。だって、日本の1/5くらいの安さで品質抜群だって言うし、そう見えたらから。まー、もしかして騙されたかもしれないが、それも良しとしよう。

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昼食は、高級ホテルのレストランで中華料理。沢山の種類を少量づつ楽しめる。こういうのがツアーの良いところ。上海で有名な小籠包が特に美味かった。

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昼食後は「豫園」へ。これは中国の庭園である。

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バスに乗っていると、所々、こういう旧い街並みを隠すような壁を見かける。

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さらに「博物館」(写真禁止)を巡り、「新天地」という上海一のオシャレなエリアで一息。スターバックス、ハーゲンダッツ、(パンの)ポール、こういう光景は日本と全く同じに見える。

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有名な上海雑技の観賞。ご覧のように、とても人間技とは思えない。感動した。

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夜のナイトクルーズ。テレビ塔、上海ヒルズのビル群が見えた。綺麗な夜景で気分も最高・・・と言いたいところだが、そうならないのが中国(苦笑)。実は、この船には日本のツアーも含めて中国人の旅行者も、たくさん押し込まれている。

で、まあ、それはいいのだが、(日本人の感覚として)許せないのは、その中国人の旅行者(何人も)が、船のデッキに「カ~っ、ぺッ」と痰を吐くこと。せめて海かトイレで吐けよ!これには全く閉口してしまった。

なるべくそちらを見ない様にして夜景に全神経を集中した(笑)。

で、バスツアーの終了。午前8:30に出発して、午後11:00にホテルに到着。それにしても、このツアー過密すぎないか?過酷なスケジュールで、フラフラになって就寝しました(笑)。

テーマ : 海外旅行
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今から中国へ(成田空港)

以前お話したように、今から中国上海へ行ってみます。

今、成田空港に到着です。
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今回は第二ターミナルから、19:25のフライトで上海へ。
所要時間3時間なので、ちょっと気軽です。
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本屋に行って、「地球の歩き方」を購入
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今から本読んで予習しておいて、むこうでは、
中国の友人から現地やビジネスの話を聞くと、そんな感じでしょうか。

あ、その友人とは、それなりに腹を割って話せる仲なので、
(中国の人とは政治の話はタブーと言われてますが)
上海の盗作問題、IT開示規制の問題、Googleの撤退問題、
そんなことも話したいなーと思ってます。

ではでは、行ってきます。

テーマ : 海外旅行
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次男ピースケが泣いて帰ってきた

どこの家もそうかもしれないが、平日の朝、我が家はいつもバタバタしている。直前になって忘れモノが発覚するとか、寝ぐせが直らないとか、遅刻しそうになるとか。今日もそんなこんなで、なんとか子供たちを小学校に送り出し一息ついたころ・・・

「ピンポーン」

って、インターホンが鳴った。「はい」って出てみると、なんと次男ピースケが泣いている。慌てて「どうした?」ってドアを開けてみると、なんと

「ランドセル忘れた~(涙)」

と泣きじゃくっているのである。思わず「ええーっ!」と叫んでしまった。あまりに意外というか、あまりにアホというか。

すぐにランドセル持たせて「急いで行けば間に合うよ」って送り出したのですが、これ誰が聞いても「ギャグか?」って気分じゃないですか。我が息子ながら、あまりのバカさ加減に大笑いしてしまった。

後で本人に聞いてみると、ランドセル無しの手ぶらで通学路を歩き、学校近くなって友達に「あれ、ピースケ君、ランドセルは?」と聞かれて真っ青になって家に帰ってきたらしい。

もう、その光景を思い浮かべるだけで笑ってしまうのだが、どこの世界にランドセルを忘れる小学生がいるのだろうか。

ちょっと話が変わるが、僕の知り合いで、友人達とハワイに行こうとしたところ、パスポート忘れたという人がいた。

当然ながら飛行機に乗れないのですが、それでも、その人は「どうしても飛行機に乗せてくれ」と泣きながら粘りまくったらしい。でも、やっぱ無理だったとか。そりゃ、そうでしょ。

その人は一人だけハワイに行けなかったということで、後の語り草になってしまったのだが、(今回のランドセル忘れたのは)それに匹敵するくらいの話かもしれない。

まー、親バカなもんで「そこまで忘れるなら逆に天晴れ!」と言いたい気もするが、妻もきっと苦笑いしていることだろう。いや、妻は子供に優しかったからなあ、大笑いした僕をたしなめていた気もする。

テーマ : パパ育児日記。
ジャンル : 育児

緩和ケアの先生から影響を受けた話

前回「緩和ケア」の話をしました。その先生に妻は随分と助けられたのですが、実は僕も影響を受けたので、今日はそんな話をしてみます。

その緩和ケアの先生は、処方や知識に関して日本トップレベル。実際、本も出版しているし、新聞や雑誌の取材も頻繁に受けている。

そんなに偉くなると、(人間だし)ややもすると傲慢になってしまいそうな気もするが、その先生は全くそんなことがなかった。むしろ逆で、常に温和で謙虚、どんな患者さんにも優しい言葉をかけて励ましてくれます。

そんな先生だから、妻なんて診療初日からファンになってしまって、毎週会いに行くのが楽しみなんて言っていたくらいなんです。

僕も「あ~、こんな先生もいるんだ」
「こんな先生なら、いくら払ってもいいなあ」
と思ったものですが・・・・・その瞬間、

「あっ!!」と気がついたことがあったんですね。

何を気がついたかと言うと、それは「これがプロだ」というレベル。どの世界でも同じだと思うのだけど、こういうレベルにならないと、やっぱりプロとは呼べない。

僕も当時は独立したばかりで、妻の介護もあったし子育てもあったし、それなりには頑張っていたつもりだけど、でもね厳しいけどビジネスでは、ただ「がんばりました」では話にならない。

というより、それじゃあ飯が食えない。

(独立したからには、)
「この人だったら頼みたい」
「この人だったら払いたい」

そう思われてこそのプロだろうと。実際、その(緩和ケアの)先生には何人もの患者さんが「診てもらいたい」って列をなしているわけだし、診てもらった僕たちも「本当に良かった」と満足している。

今、とりあえず僕も独立しているが、「この人だったら頼みたい」って人、いったい何人いるのだろうか?そんなこと考えると、ちょっと寒気がしないでもない(苦笑)。

まー、そんな寒気がしない様に努力し続けることだし、かと言って「頭垂れる稲穂」の諺通り傲慢にもならないことも大事。(僕にとっては)そんなプロを自覚させてくれた先生でした。

何もメジャーリーガーやプロゴルファーだけがプロじゃない。こんな身近にもプロはいるもんですね。

そういう意味でも感謝です。先生、ありがとうございました。

テーマ : 日記
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緩和ケアに通い始めた頃

今日は、1年前つまり2009年4月の頃を思い出したので書いてみます。この頃から妻は「緩和ケア」の治療を受けるようになっていました。

最初に緩和ケアを勧められた時は、妻は随分と抵抗し泣いていた。何故なら「緩和ケアで意識が無くなっていく」というイメージがあったからだ。

でも結果的には、緩和ケアを受けたのは大正解だった。何とその治療を受けてから2週間で、妻は夜中に眼を覚ますことなく熟睡できるようになったからだ。「えっ、それだけ?」と思うなかれ。これは当時の我が家にとっては、凄いことだったのだ。

2009年1月の頃から妻は、こんな感じで転移が進み、夜も熟睡できなくなっていた。いつも3時間おきに「痛い」」と起きて苦しみ、背中をさすり、オフロで温めて、何とか痛みをごまかし過ごしていた。

そんな中でも、やっぱり妻は「意識をなくさず、家族と会話したい」という思いもあったのだろう。「なるべく緩和ケアを避けたい」ようなことを言っていた。

しかし、結局は緩和ケアを受けることになったのだが、そこからは随分と「痛み」からは解放されたようでした。具体的には「オキシコンチン」や「リンデロン」等々の薬を毎日飲み、本当にイザ痛くなった時は「オキノーム」という粉薬を緊急で飲むようにした。

しかも意識は全然普通。

特に、この「オキノーム」という薬の効果は抜群で、「これさえあれば何とかなる」という思いを持てることができた。だからこそ、その後、温泉も箱根も沖縄にも行けたのだ。

だから、緩和ケアに行って本当に良かったと思う。

日本では、昔の僕を含め、緩和ケアは末期という思いがある。しかし、欧米では癌の初期から、通常の治療に並行して緩和ケアを受けるらしい。結局、「癌の治療って何?」という話にもなるのだが、欧米では「癌の治療とは痛みをとること」と定義しているからだ。

一方、日本では「癌の治療とは、癌細胞を叩くこと」という思いが、まだまだ強い。これは医者の世界にあってもそうなのだと言う。だから、日本には緩和ケア病棟や先生が少ない。

幸運なことに、妻を診てくれた先生は、日本でもトップレベルの緩和ケアの先生だった。薬の処方もだが、とにかく「優しい」先生だった。妻も随分と先生に癒されていた。そんな先生と緩和ケアが広まればいいなあと思う。

テーマ : 日記
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木村拓也さんが37歳で亡くなった

巨人軍の木村拓也コーチが、一昨日、くも膜下出血で亡くなった。まだ37歳。こうやって若くして亡くなった方のニュースを聞くと他人事とは思えない。

妻が癌になった時、「余命」を意識し常に不安な気持ちで生活していたので、「癌は何て残酷なんだろう」と思っていた。でも、木村コーチのように突然逝ってしまっても、それはそれで残酷だし、家族は「その後」が大変だろうと思う。

何故なら、妻は残された最後の時間の中で、手紙も残してくれたし、(変な話だが)お葬式の相談もしたし、暗証番号やパスワード、何が家のどこにあるとか、そんな現実的で細かい話も全部することが出来たからだ。

もちろん、その時の状況を思い返すと、あまりに残酷で悲しくて、僕は涙が出てくるのだが、現実的には助かったのも事実である。

でも突然逝かれてしまったら、(もちろん家族の悲しみは大きいだろうが)本当に色んな処理が大変だろうし、悲しむ暇さえないと思う。そう考えると「癌も残酷だったが、突然無くなるのも残酷だなあ」と思う。

結局のところ、そんな若さで天に召してしまう神様が残酷であって、「神様、どうかどうか、皆が天寿を全うできるようにしてください」と祈りたくもなってくる。

しかし、現実は違う。いつ誰がどうなるかわからない。僕だって明日死ぬかもしれない。テレビでは「だから血圧を毎日測りましょう」なんて事を言っている。いや、もちろん血圧を測ることも大事だが、僕に言わせれば

「だからこそ、悔いを残してはならない」
「だからこそ、1日も無駄にしてはいけない」

そんなメッセージが届いた気がしました。
また明日から努力しなくちゃ。


木村コーチのご冥福、謹んでお祈り申し上げます。

中国へ行ってみる話

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昨日は妻の月命日。義姉からお花が届いたので、線香を焚いてお供えしました。いつもありがとうございます。感謝です。

突然ですが、4月23日~26日、僕は中国に行くことになった。中国の杭州に住む(中国人の)友人が、あちらの会社で部長に昇進したそうで、そのお祝いと僕のビジネスを中国で展開できないか?を探りに行ってみるためです。

実のところ、僕は中国人が苦手である。今まで何十人も中国人とビジネスをやってきたけど、価値観があわなくて、結局友達になれた中国人は、その杭州に住む彼1人だけだった。

その彼は、本当に中国人にしておくのはもったいないくらい(と言ったら怒られそうだが)日本人らしい。そんな彼がいることもあるし、何より今後の日本の将来を考えた場合、やっぱり中国でビジネスの足掛かりを作っておくことが必要な気がするので、今回の中国行きを決めた。

そりゃ僕だって日本が大好きだし、日本人に生まれて良かったと思うが、しかし今後も日本で、「同じような生活」をするためには、日本でよっぱど付加価値を創出できる才能をもっているか、経済成長が著しい新興国のマーケットでビジネスを展開するか、そのどちらかを選択しなくちゃいけない日がくると思う。

それほど日本の将来はヤバい気がする。
国の借金、少子化、政治、etc・・・・

まあ、この話は置いておこう。
とにもかくにも、中国に行くことになった。

4月23日:成田から上海、
4月24日:上海見学
4月25日:新幹線で杭州へ、友人と打ち合わせ、その後また上海へ
4月26日:帰国

そんな慌ただしい感じで日程を決めた。さてさて、どうなるか。
これもまた楽しみである。

蓼科へスキー旅行

3月30日~4月1日、家族で長野県蓼科の白樺湖スキー場に出かけてみました。

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↑御覧のように「これで大丈夫だろうか?」と心配になるくらい、メッチャ空いてました。まさにマイゲレンデ状態(笑)。おかげで息子たちは誰に気遣うこともなく、たっぷりと練習。午後からは中級コースにも行けるようになりました。

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山の上に行くと、遥かに北アルプスも見えました。すがすがしい。そういえば、去年のスキー旅行の時は、妻が「来年も絶対来るぞ」って言っていたっけなあ。

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宿での食事はバイキング。
次男ピースケがもってきた野菜のお皿が↑の写真なんだけど、思わず「○○虫のエサか?」と言いたくなる。ピースケは野菜嫌いなところがあって、こういうの注意しなくちゃいけないんだろーなあ。でも面倒になって、今日は何も言わなかった。まあ、旅行の時くらい「よし」としよう。ちょっと甘いか。

さて旅行も終わり、今日から新年度。
長男ユータが6年生、次男ピースケは3年生。

また頑張ろう!
プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

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