スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

緩和ケアに通い始めた頃

今日は、1年前つまり2009年4月の頃を思い出したので書いてみます。この頃から妻は「緩和ケア」の治療を受けるようになっていました。

最初に緩和ケアを勧められた時は、妻は随分と抵抗し泣いていた。何故なら「緩和ケアで意識が無くなっていく」というイメージがあったからだ。

でも結果的には、緩和ケアを受けたのは大正解だった。何とその治療を受けてから2週間で、妻は夜中に眼を覚ますことなく熟睡できるようになったからだ。「えっ、それだけ?」と思うなかれ。これは当時の我が家にとっては、凄いことだったのだ。

2009年1月の頃から妻は、こんな感じで転移が進み、夜も熟睡できなくなっていた。いつも3時間おきに「痛い」」と起きて苦しみ、背中をさすり、オフロで温めて、何とか痛みをごまかし過ごしていた。

そんな中でも、やっぱり妻は「意識をなくさず、家族と会話したい」という思いもあったのだろう。「なるべく緩和ケアを避けたい」ようなことを言っていた。

しかし、結局は緩和ケアを受けることになったのだが、そこからは随分と「痛み」からは解放されたようでした。具体的には「オキシコンチン」や「リンデロン」等々の薬を毎日飲み、本当にイザ痛くなった時は「オキノーム」という粉薬を緊急で飲むようにした。

しかも意識は全然普通。

特に、この「オキノーム」という薬の効果は抜群で、「これさえあれば何とかなる」という思いを持てることができた。だからこそ、その後、温泉も箱根も沖縄にも行けたのだ。

だから、緩和ケアに行って本当に良かったと思う。

日本では、昔の僕を含め、緩和ケアは末期という思いがある。しかし、欧米では癌の初期から、通常の治療に並行して緩和ケアを受けるらしい。結局、「癌の治療って何?」という話にもなるのだが、欧米では「癌の治療とは痛みをとること」と定義しているからだ。

一方、日本では「癌の治療とは、癌細胞を叩くこと」という思いが、まだまだ強い。これは医者の世界にあってもそうなのだと言う。だから、日本には緩和ケア病棟や先生が少ない。

幸運なことに、妻を診てくれた先生は、日本でもトップレベルの緩和ケアの先生だった。薬の処方もだが、とにかく「優しい」先生だった。妻も随分と先生に癒されていた。そんな先生と緩和ケアが広まればいいなあと思う。
スポンサーサイト

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

カテゴリ
全記事リンク

全ての記事を表示する

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QRコード
作者にメールできます

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
03 | 2010/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。