遺言を残したころ
今回は、まずこちらの注意点からお読みください。
12月5日の妻の一周忌が近づくと、自然と一年前のことを思い出す。
妻は、11月16日までは「まだ生きるからね。まだがんばるからね」と言っていた。それは僕が直接聞いていた。
しかし、11月25日頃になって看護師さんに「私もう疲れた。駄目かもしれない」と言いだしていたらしい。僕の耳にその話が入ったのは、ずっと後になってからのことだが、その頃に彼女は死を覚悟したのだろうか。
そして11月27日の夜。いつもの通りベッド脇で話をしていたら、ついに彼女は僕に遺言を言い始めた。
「私、もうダメだと思うの。きっと死ぬから。でもアナタの人生はまだまだ長いでしょ。ごめんね。・・・中略・・・・健康で幸せになってね。私は凄く幸せな人生だったよ」と。
中略の部分は3時間くらいあるんだけど、子供の教育のこととか、仕事のこととか、家の中のモノの置き場所とか、彼女の遺品の整理とか、色んな暗証番号パスワード、お葬式の段取りや音楽、遺影の写真、そんな実用的な話を最初にした。
やっぱり(母として妻として)
今後の実生活が心配だったんだろうなあ。
実用的な話が終わると、どちらからともなく
「今まで楽しかったね」「うん、楽しかった」
「今までの思い出話をしようか」
ということになった。
そこで、彼女がこまめにつけていた日記をとりだし、僕が読み返した。
この時、日記っていいなあと思った。もし日記がなければ忘れていることだらけだったけど、日記のおかげで、あの時のあの状況のことを克明に思い出すことができたから。
つきあい始めた頃、、新婚の頃、子供が産まれた頃、僕が会社を辞めた頃、旅行に行ったこと・・・・etc.
2人で笑って懐かしみ、泣くことができた。
遺言を残した日は、そんな情景でした。
彼女が「幸せだった」と言ってくれたことは嬉しいですが、
でもやっぱり悔しいし無念。
もっともっと幸せになれたはずなんだからね・・・・・
12月5日の妻の一周忌が近づくと、自然と一年前のことを思い出す。
妻は、11月16日までは「まだ生きるからね。まだがんばるからね」と言っていた。それは僕が直接聞いていた。
しかし、11月25日頃になって看護師さんに「私もう疲れた。駄目かもしれない」と言いだしていたらしい。僕の耳にその話が入ったのは、ずっと後になってからのことだが、その頃に彼女は死を覚悟したのだろうか。
そして11月27日の夜。いつもの通りベッド脇で話をしていたら、ついに彼女は僕に遺言を言い始めた。
「私、もうダメだと思うの。きっと死ぬから。でもアナタの人生はまだまだ長いでしょ。ごめんね。・・・中略・・・・健康で幸せになってね。私は凄く幸せな人生だったよ」と。
中略の部分は3時間くらいあるんだけど、子供の教育のこととか、仕事のこととか、家の中のモノの置き場所とか、彼女の遺品の整理とか、色んな暗証番号パスワード、お葬式の段取りや音楽、遺影の写真、そんな実用的な話を最初にした。
やっぱり(母として妻として)
今後の実生活が心配だったんだろうなあ。
実用的な話が終わると、どちらからともなく
「今まで楽しかったね」「うん、楽しかった」
「今までの思い出話をしようか」
ということになった。
そこで、彼女がこまめにつけていた日記をとりだし、僕が読み返した。
この時、日記っていいなあと思った。もし日記がなければ忘れていることだらけだったけど、日記のおかげで、あの時のあの状況のことを克明に思い出すことができたから。
つきあい始めた頃、、新婚の頃、子供が産まれた頃、僕が会社を辞めた頃、旅行に行ったこと・・・・etc.
2人で笑って懐かしみ、泣くことができた。
遺言を残した日は、そんな情景でした。
彼女が「幸せだった」と言ってくれたことは嬉しいですが、
でもやっぱり悔しいし無念。
もっともっと幸せになれたはずなんだからね・・・・・
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