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クリスマス

クリスマスイブの前日、23日のこと。僕がちょっと用事で出かけて帰ってみると、なんとクリスマスの飾りつけがやってあるではないか。

ミニツリーがあったり。
P1010030.jpg

玄関にはクリスマスリースがあったり。
P1010033_20101225211002.jpg

「どうしたんだ?」と子供達に聞いてみると、
「だって、お父さんどうせやらないでしょ」と子供達。

・・・確かに(苦笑)。

何でも、子供たちだけで、
100円ショップでクリスマスツリーを買ってきて、
クリスマスリースは押し入れの奥から捜してきたらしい。

こういう性格は、妻に似たんだろうなあ。
僕の血じゃ、そんなことしない気がする。

勝手に買い物したことは、もしかしたら注意すべきなのかもしれないが、
そんな気にもならず嬉しかった。

そして迎えたクリスマスイブ。

今年も男3人のクリスマスかと思っていたら、
ありがたいことにご近所さんの家族がパーティに招待してくれた。
本当に感謝感謝。

そのパーティ、子供達は子供達で遊んでいたようだけど、
こちらはシャンパン飲んで、美味しい料理を食べて、とても楽しかったです。ありがとうございました。

ちなみに、今年の子供たちへのプレゼント。
去年、「クリスマスプレゼントはお母さんが生き返ること」って
泣けるようなこと言っていたのを思い出したのですが、
今年は現金なもので、あっさり高価なゲームをねだられた。
まあ健全なんだよね。

子供達からは、プレゼントにゴルフボールもらいました。
ありがとう。
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ゲームプランナーの夢

長男は小学校6年生。今まで将来のことなど語ったことは無かったけど、最近初めて「ゲームプランナーになりたい」と言いだしている。

長男はゲーム大好きで、このままで大丈夫だろうか?と心配にならないこともなかったんだけど、「ああ、やっぱりそういう道に進みたいのか~」ということになってしまった。

実際、iPadで「ゲームプランナーのなり方」とか調べて読んでいるみたいだ。

まあ、親としては、普通に勉強して普通に運動して、普通に育って欲しいと思わなくもないが、夢なんてどんどん変わるんだから、今の段階ではそういうことを意識するだけでも良しとしよう。

どの道、これからの社会ではコンピュータやITが必須なんだからね。
未来を自分で開ける子になって欲しいものだ。

子供達からの貧乏疑惑

最近、子供たち(特に長男)から、
「うちって貧乏なの?」という質問を頻繁に受ける。

・・・・いや、確かにそうかもしれないが・・・

何故かと言うと、子供たち曰く
「他の友達は自分の勉強机があるけど、俺はない」
「他の友達は自分の部屋があるけど、俺はない」

ということらしい。

ちなみに我が家は賃貸マンションなんだけど、確かにこの年代になると子供の成長にあわせて家やマンション買って、子供部屋を作るという家庭が多いのかな。

でも、僕は家を建てる気もマンション買う気も、今のところ全くない。だって高いし、一人身で家建ててどうする?って話だし、勉強なんてどこでも出来るだろうとも思うし。

だから、子供達はキッチンのテーブルで勉強しているのだが、
これは、もしかしたら友達にバカにされてるのかな?

まあ、例えバカにされていようとも、どうしようもないけどね。
僕が、もう少し稼げば別だけど。

でも、自分勝手言わせてもらえれば、
男だったら、そういう不利な条件を受け入れた上で逆転するところに人生の面白さがあるはずとも思う。

「俺はお前と違って机も部屋もない。
でも、俺のほうが成績は上だよね。」みたいな。

いや、もちろんこれは、そういう嫌味を言える嫌な奴になれ・・・という意味じゃないですよ(どうか勘違いしないでください)。多少の困難は努力でカバーする根性と覇気が欲しいという意味でね。

というようなことを子供にも言ってみたが。
ポカーンという感じだった(苦笑)。

もしかして、この理屈は一般的にはムチャクチャなのかな。
屁理屈?
どうも一人親だとスタンダードが何かわからなくなる時があるが、とりあえず勉強机も部屋も用意する予定ないので、彼らがそんなこと関係なしに頑張って欲しい・・・と思う今日この頃です。


●追伸
貧乏疑惑のもう一つの理由があることもわかりました。

それは、我が家はディズニーランドに行ったことがないのですが、
東京の周りのお友達は最低3回くらい行ったことがあるらしいのです。

「うち貧乏だからディズニー行けないんでしょ?」

とか子供が言うから、今度は
「行けるけど行かないだけ」と言っておきました。

だって、男3人じゃあねえ。あまり行く気になれないし。
申し訳ないけど、これも我慢してね。

ちょっとだけど寄付してきました

妻の最期を看取ってくれた看護師さん達から手紙を頂きました。
手紙には、僕の生活を気にしてくれたり子供のことを心配してくれたり。

ありがたくもあり、
なんだか懐かしくもあった。

ちょうど僕も「癌の研究費」を寄付しようと思っていたところだったので、手紙のお礼も兼ねて久しぶりに病院に行ってきました。

すると、優しかった先生と看護師さん達がいて、
窓の風景、ウッディな壁、そして妻が亡くなった病室がある。

そこは、何もかもが当時と同じままだった。

さらに(妻が亡くなった)時期も同じだったので、
(あの時と同じ)クリスマスツリーもあった。
P1010008.jpg

そういえば、ここで一緒に最期の写真撮ったなあ・・・
と思いだし、少し感慨にふける。

その写真を撮ってくれた看護師さんも、
「最期にここで写真一緒に撮ったね」なんて覚えてくれていて、
あの頃のことを思い出し、懐かしく話しこんでてしまった。

話せばそりゃ涙も出てくるけど、
あの壮絶だった闘いも、今は思い出となりつつあるのだろうか・・・
と自分の心境が少し変化しているような気もした。

話が終わるとサプライズで、
看護師さん達から、何と僕たち家族に対して
クリスマスプレゼントとメッセージカードが手渡された。

嬉しかったなあ!
ありがとうございました。

1年前に妻が癌で亡くなった時、僕は癌が憎かった。
だから、1年間稼いだ中から「癌の研究費」として少しでも寄付しようと決めていたんだけど、今年は「雀の涙」みたいなもの。

来年は、もう少し寄付できるようにがんばりますね。
いつか人類が癌を克服するために。

新しい出会い、新しいチャンス、新しい目標

妻の四十九日は僕にとって一つの区切りだったが、先週末の一周忌も一つの区切りかなあという気がします。

と言うのは、「今年は外国に行ってみよう」という目標があったのだけれども、これは、実は彼女が生きていれば連れていこうと思っていた目標の延長でもあった。

しかし、彼女が亡くなって1年過ごしてみると、新しい出会いとチャンスがあって、そこから全く新しい目標も出てくる。

その具体的な目標というのは、・・・

仕事の面では僕はIT技術者なんだけど(知らなかったかな?)、クラウドという新しいサービスがあって、このサービスを一つ仕掛けて売り出してみること。既に協力してくれるコンサルも一人確保出来ているので、そこで売上アップ・・・・・と、捕らぬタヌキの皮算用してます。

人生設計においては、今年オーストラリアに行ったら、オーストラリアが凄く好きになってしまったから、将来は1年のうち1~2ヵ月はオーストラリアで過ごすライフスタイルを作りあげたいなあ・・・と、青写真描いてます。

そんな感じで、新しい目標が出てきた。まあ、仕事もプライベートも、まだまだ皮算用と青写真だから何とも言えないけどね(苦笑)。

でもそういう方向性で努力していきます。
ちょっとした決意表明でした。

では。

一周忌の法要

一昨日、一周忌の法要を行ってきました。

12月5日が妻の命日なのですが、初めての命日はやっぱり辛いもの。
去年のあの日、あの時のことが鮮明にリアルに思い出されてしまう。

妻の呼吸がスーっと止まった瞬間。
遺体をずっと揺り動かして泣いていた息子たち。

どんどん思い出して、法事の席で大泣きしてしまった。

ふと見ると、お姉ちゃん(妻の実姉)も泣いていた。
当たり前だけど、お姉ちゃんも辛いんだよな。

で、息子たち。息子たちは泣いてなかった。
大人よりも子供のほうが、どんどん立ち直っていくということだろうか。

それにしても一年早かったなあ。
また明日から頑張ります。

腹をくくった頃の話

今回も、まずこちらの注意点からお読みください。

この秋は、妻を思い出して泣くこともしばしばっあったが、闘病生活を振り返って一番泣けた日のことを書いてみる。

それは、妻の癌が再発して、検査の結果を医師から聞き
「5年生存率50%ない」と言われた時。

それまでは、きっと治るんじゃないかという楽観的な希望もあったのだが、医師の話を聞き、家でネットで調べても、妻の癌のタイプは悪性中の悪性で、非常に厳しい現実が待っていることがわかった。

唯一の希望は、妻のような癌のタイプでも、稀に長く生きている人がいるということ。

もちろん我々もそういうことを目指さなければならなかったが、でも現実は厳しいと思わざるを得なった。もしかしたら、妻は5年後、いや早ければ3年くらいで亡くなってしまうのか?

あの日、妻は入院中だったから、僕は家でそんなことを一人考え、怖くて震えた。そして結局、一晩中泣いた。泣いて泣いて明け方近くになったら、不思議なもので腹もくくった。

仮に余命5年だったら、
その5年間をより濃密に全てを彼女のために過ごそうと。

そういう腹をくくった。それが2006年夏のこと。

さて、そういう腹をくくったからには、次は行動しなければならない。

当時、僕はサラリーマンで会社に行っていたのだが、「全てを彼女のために」と言うからには、まず彼女と過ごす時間を確保しなければならない。しかし、会社に行かなければ経済的に困ってしまう。

そこで、僕は会社と交渉して会社に行かずに在宅で仕事するから、それで給料をだして欲しい、という交渉をやった。しかし、これは駄目だった。会社としては、そういう制度が無いの一点ばりだ。

まあ仕方がないよね。会社とはそういう所だし。

で、次の作戦に移った。僕はもともと、いつか独立してやろうと思っていたし、以前ベンチャーやって失敗した経歴もある(苦笑)。

だったら、この機会に独立すればいいんじゃないか?ということ。

そこで独立準備を始めた。
会社勤めの傍ら、お客さんを訪問し、自分の技術を磨き、レポートを作って売り込むみたいなことをやった。さらに佳境になってきた時は、会社を4ケ月休職して、そういうことをやった。

もちろん、それは一種の賭けでもあったのだが、不思議と
「失敗したら・・・」とかは思わなかったなあ。

気持ちとしては、「意地でもやってやる」みたいな感じだった。

人間死ぬ気になればなんでも出来るって言うけど、
文字通り「死ぬ気」になっていたんだと思う。

だって、妻の余命のこともそうだが、
会社休職したりしていたから、給料無かったし貯金も減っていったからね。
そりゃ、今から考えるとヒヤヒヤって感じがする。

関係者の皆さま、黙っていてごめんなさい。

いや、もちろん、本当に借金するくらいヒヤヒヤになったら周りに相談したと思うけど、結果的には幸いにも僕の貯金が大幅に減る段階で、この独立戦争は終わり、2008年夏に独立することができた。

そこからは予定通り、妻の闘病生活に全ての時間を投入して一緒に向き合うことができたし、国内旅行もたくさん行けたし、たくさん話すこともできた。

ただ本当に無念なのは、妻はあの時(2006年)から、3年で亡くなってしまったこと。せめて5年あったらと思う。あと2年余分にあれば、国内旅行だけでなく彼女の好きな海外だって連れていくことができたから。

今年僕は海外7ヶ国を一人で旅行したけど、実はこれは彼女が生きていたら連れて行こうと思っていた目標の延長でもある。

でも、やっぱり3年でも5年でも無念か。若すぎるよなあ。

あの腹をくくった日から4年。
今日は、そんなこと思い出して書いてみました。

プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

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