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子供達からの手紙

年末も近くなってきた今日この頃。書棚の整理をしていると、2006年夏に妻が入院した時、子供達が妻に宛てた手紙が出てきました。

当時は、長男が小学校2年で次男が幼稚園年中だったのですが、なんだか懐かしい。妻はこの手紙を握りしめて、手術に向かったんだっけ。

この手紙、このままだと絶対に埋もれてしまうので(実際、この手紙見るの5年ぶりだし、苦笑)、ここに僕が書き写して記録しておくことにしました。よかったら一緒に読んでみてくださいな。


----------次男(当時4歳)から母へ-----------------

おかあさん、はやくなおりますように。

(↓実際の手紙の画像)
P1020326.jpg

・・・何の絵だか、今となっては不明だけど(苦笑)・・


----------長男(当時7歳)から母へ------------------

お母さんハワイに行こう。
ぼく、がんばるから。お母さんのために。
ぼくは、山、川、いろんな場所にお母さんといっしょに。
ぼくはお母さんが大好きだから、治ってほしい。
がんばってね。
冬は雪合戦。夏は虫を捕まえたり花火をやろうね。

(↓実際の手紙の画像、↑一部漢字にしました)
P1020327.jpg


----------------------------------------------------

ではでは、今日はそんな感じです。
またお会いしましょう。
ありがとうございました。



●追伸
非常に申し訳なかったんだけど、三回忌の法要は中一の長男のテストの真っただ中でした。でも、前回よりは成績があがったみたい。ちょっとほっとした。

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三回忌の法要

11月20日、命日の前ですが色んな都合もあって、この日に親戚が集まり妻の三回忌の法要を行ってきました。

そして納骨も。

「えっ?!」って思われるかもしれませんね。だって、一般的には納骨って四十九日直後に行われるものだから。でもね、僕はそんな「普通のしきたり」に従うことができずに、ずっと妻の納骨をしなかった。

いくら「普通はすぐに納骨する」とか言われても、
そんなに簡単に割り切れるものじゃない。

家にお骨があるだけで、何だか見守ってくれているような、そんなホッとする嬉しい気分になれたし、それに納骨するお墓には妻の知り合いが誰も入っていないんです。そんな寂しくて雪深い山の中のお墓に、妻一人やれるか、というのが僕の気持ちだった。

でもね、妻が亡くなって2年。

この件に関しては、やっぱり少しづつ気持ちが変わるもの。いくらお骨があっても何も反応がない。笑ったり、しゃべったり、ましてや生き返ってもくれない。

妻は確実に亡くなっているという実感。
当たり前なんだけどね。

いやね、こうして時が経つと、むしろ「私、そろそろお墓に行くよ。」と妻の優しい声が聞こえてくる。「うん、わかった、そうしよ。」って(全くの妄想ですけどね)、それで納骨してきました。

「さようなら」

三回忌は再び妻に別れを告げた日。いつかまた天国で会おう。それまでは子供育てて、自分なりの人生を掴むからね。

ありがとう。

今日はそんな感じです。


●追伸
いつもブログへのコメントやメールありがとうございます。
今まで出来なかったのですが、最近のものは返信してみました。
よかったら、見てくださいね。

素敵なおじさん達のコンペで優勝!

去年の今頃、近所のおじさん達のゴルフコンペに参加し、惨敗した話をしました。

その後、そのおじさん達とは、そんなに頻繁にはつき合えないけど(だって、お金持ちが多いからね)、たまーにゴルフをする関係が続いていて、今年もゴルフコンペに招待して頂き、参加してきました。

僕としてはね、去年惨敗しているんで今年は雪辱を果たそうと、秘かに1ヶ月くらい猛練習?したのですが、その甲斐があってね、

優勝しました!!
嬉しいー。

メンバー総勢28人、平均年齢が63歳くらいで、
最年長は72歳。
スコアの平均は90くらいかな。
ベストスコアが僕の82(←ちょっと自慢)。

全員が年上の大先輩なのですが、このコンペ何が好きかって、皆いい歳なのに、

マジに勝負していること。

だって、55歳~72歳のおじさん達、このコンペの直前には目の色変えて練習してるんだよ。いや、本当に失礼な話だけど、僕は、その年代って欲とか目標が無くなって孫と一緒にいるだけで幸せ・・・みたいな心境になってしまうのかと思った(本当にごめんなさい)。

でもね、ここのおじさん達は違う。
歳をとっても意気ますます盛ん。

今日だって、60歳のおじさんにこう言われたんだから。
「ジョンちゃん、前回はわざと負けてやったから」
「今度は、コテンパンにやっつけてやるから」って。

なんだか嬉しいでしょ。

だから僕も思う。
「今度もギャフンと言わせてやろう」って。

(仕事や家事に疲れた時)
こんな小さな切磋琢磨が幸せに感じるし、気分転換にもなるんだよね。それに、まじめに言って、僕もあんな歳まで仲間と熱くゴルフできたら、そりゃ楽しいだろうなあって思う。

おじさん達(←すっかり自分が若者気分、苦笑)、
これからも、どうかよろしくお願いいたしますね。

ではでは、今日はこのへんで。
またお会いしましょう。

ありがとうございました。


●追伸
いつか僕も息子たちと逆の立場で会える日も来るのだろうか、そうなるといいなあ。

薄れゆく記憶と宝物

いつも沢山のコメントやメール、感謝感謝です。
先週は、テレビ局に直接送って頂いた手紙も拝見しましたし、それら全て読んで「今日もやるぞ!」って気分。

本当にどうもありがとうございます。

さて、
そんなお便りの中で、こんな相談してくださる方がいました。
(仮にTさんとしておきましょう)

「私に今、好きな彼がいます。
その彼も奥様を亡くされてます。
私には死別と言う悲しみを経験したことなくて、
彼に何て言っていいのかわからず・・・・
思い出させることは辛いかと思うので聞かずにいます。」と。

また、
僕の周りの友達なんかでも僕に対して、
(不自然に)自分の嫁さんや家庭の話をしないようにしてくれて、
で、たまに会話に出ると「ごめん、思い出させちゃったね」と、
そんな風に気づかってくれる人も多い。

ありがとう。

でもね、思い出させると辛い・・・・ということですが、
実は、当の本人の思いはちょっと違うような気もするんです。
あくまで僕の感覚ではあるんですけどね。

確かに、あの闘病生活のころを思い出すと涙が出るから、凄く辛そうに見えるのかもしれない。でも、それは「辛い」という感覚ではなくて・・・・

(気恥ずかしいけど、今から言葉にすると、苦笑)

それは、
もう二度と戻らない、優しく甘美で輝いているもの。思い出すとふわっと当時の空気に取り囲まれ、うっとりと何かこみあげて泣きたい気分になってしまう宝物。

そんな感じなんですね。
だから涙が出るんです。

そう、「辛い」という感覚じゃない。

いや、冷静に考えれば、当時は凄く大変で辛かったですよ。余命宣告を受けた衝撃、、彼女の無念さ、痛み、夜中毎日体をさすっていたこと、さらに現実の仕事とお金の問題とかね。

大変だったなあと思う。

でもね、そんな大変なこともあったけど、時間の流れとともに、今は「辛かった」という感覚ではなくなってきている。

人間の記憶ってうまく出来てるなあって思うんだけど、時の流れの中で「大変なこと」や「辛いこと」が記憶からどんどんそぎ落とされて、勝手に美化されるんです。

だから、当時の記憶は「辛さ」より、
むしろ「宝物」かな。

唯一「辛い」とすれば、「彼女の無念さ」を思う時。病気と時の流れの前では、僕たちは全くの無力でしたから。

どんなに頑張っても、どうすることもできなかった。

「もっと生きたかっただろうし、子供の成長も見たかったろうな」って、これは何回考えても泣けるけど、思い出そのものに対しての辛さではない。

そんな感覚だから、
変に気を使ってもらうよりは、自然に話してもらって全然いいのです。
むしろ、彼女の話を全くしないほうが、彼女を偲んであげられなくて悲しいしね・・・・・

そんな感じ。

でね、
長くなったのですが、ここまで書いて、やっと相談者Tさんの質問に対する前置きが終わり。「こんなに長くてマジかっ??」て気分でしょうが、ごめんね、ここからが本番の回答です(笑)。

だから僕はTさんに、こう伝えてみたい。

お互いに変に気を使うよりは、
「こんな感じだったんだ」とお互いに受け入れ、話をしてあげたほうが自然なおつきあいができると思います。

いや、むしろそんな話をすると、彼よりもTさんのほうが嫉妬もしてしまうかもしれませんから、徐々にゆっくりと少しづつ、そんな感じでいいかと。

人生は「大変なこと」「辛いこと」もいっぱいあるけど、今度はTさんと彼で宝物を掘り起こしてくださいね。がんばってください。


以上、
今日はそんなこと伝えたいと思いました。


大切な方を亡くした方は周りに沢山いらっしゃると思います。
何かの参考にでもなれば。


ではまた。
ありがとうございました。

プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

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