ねぇ、どうして… そんなにも君は優しくなれるの…?
先日ご紹介した「優しい世界」、沢山の方に聴いて頂いています。本当に嬉しいし、何より(作詞・作曲の)松谷さん、(イラストの)七田さんには改めて感謝です。
ありがとうございます。
その「優しい世界」、細かい話ではありますが(笑)、
サビの部分では、こんな歌詞があるんですね。
「ねぇ、どうして…
そんなにも君は優しくなれるの…?」と。
この歌詞、実を言うと、闘病生活から今日まで、
僕の心の中にある「妻への問い」でもありました。
(恥ずかしいですが、松谷さんがきちんと歌詞にしてくれました)
つまり、ガンという不条理に遭遇し、
どうやって妻は正気を保ち(いや、むしろ明るく)、
他人に優しくなることができたのだろうか?
妻が生きている時は聞けなかったし、
(亡くなってしまった今となっては)
その正しい答えは永遠にわからない。
でも先日、ナチスの強制収容所に収容された精神科医が書いた「夜と霧」という本を読んで、その答えが少しわかったような気がした。
その本によると、
ナチスの強制収容所もまた不条理だらけの世界だった。
収容者は、具合が悪くなれば殺され、元気でも殺され、微笑んでも涙ぐんでも、無表情でも殺された。
全くの無作為と気まぐれ、法則性もないし、努力も何も関係ない、
あまりの不条理な(銃殺される)世界がそこにあった。
そんな中で、ある人は精神破綻し、ある人は正気を保った。
その違いは何か?
精神科医の著者は言う。
「生きる意味と結果」を問い続けた者は精神破綻し、
「ひたすら生きる」ことを考えた者は正気を保った、と。
(もちろん、この本が全て正しいとは思わないけど)
「そうだったのかも・・・」と僕は思い当たる。
確かに妻は、生きる意味も結果も問わなかった。
どんなに治療しても、どんなに体にいいことやっても、
どんどん具合が悪くなっていく。
結果、旅行も行けなくなって、
美味しいものも食べられなくなったけど、
「何故?どうして?」なんて言わなかった。
ただひたすら生きることを前提に、
あの病気から生き抜くことだけを考えていた。
出来ることは全部やろうって。
ひたすら調べ、考え、行動する。
これが僕らの闘病生活のパターン。
そういえば彼女とは戦友でもあったっけ。
日本には、
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。
これは、僕が闘病中に自分に言い聞かせていた言葉。
この言葉と相通じるところもあるのかな。
確かに僕も正気を保っている(つもり?)。
だとするなら、最後に子供達にも伝えておきたい。
この世の中、不条理なことが多い。
「出来の悪いアイツが合格して、自分は不合格」
「普段さぼっているアイツのほうが出世した」
「やっと家を建てたのに、地震で壊れた」
「なんでリストラなんだよ?」
なんで、なんで、なんで・・・・・。
人生は不条理との闘いかもしれない。
でもね、僕たちは生きるしかない。
ひたすら生きて、生き抜くこと。
その大切さを知って欲しい。
子供達、もちろん今は
「報われない不条理もある」なんて考える必要は全くない。
そもそも努力しろよって話だし。
でもね、努力しても報われない時、何か不条理なことがあった時、
いつか、そう悟ってくれる日もくるかなあ。
「僕らは全力で生きるしかない」って。
お母さんのように・・・
今日は、そんなこと思いました。
またお会いしましょう。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
その「優しい世界」、細かい話ではありますが(笑)、
サビの部分では、こんな歌詞があるんですね。
「ねぇ、どうして…
そんなにも君は優しくなれるの…?」と。
この歌詞、実を言うと、闘病生活から今日まで、
僕の心の中にある「妻への問い」でもありました。
(恥ずかしいですが、松谷さんがきちんと歌詞にしてくれました)
つまり、ガンという不条理に遭遇し、
どうやって妻は正気を保ち(いや、むしろ明るく)、
他人に優しくなることができたのだろうか?
妻が生きている時は聞けなかったし、
(亡くなってしまった今となっては)
その正しい答えは永遠にわからない。
でも先日、ナチスの強制収容所に収容された精神科医が書いた「夜と霧」という本を読んで、その答えが少しわかったような気がした。
その本によると、
ナチスの強制収容所もまた不条理だらけの世界だった。
収容者は、具合が悪くなれば殺され、元気でも殺され、微笑んでも涙ぐんでも、無表情でも殺された。
全くの無作為と気まぐれ、法則性もないし、努力も何も関係ない、
あまりの不条理な(銃殺される)世界がそこにあった。
そんな中で、ある人は精神破綻し、ある人は正気を保った。
その違いは何か?
精神科医の著者は言う。
「生きる意味と結果」を問い続けた者は精神破綻し、
「ひたすら生きる」ことを考えた者は正気を保った、と。
(もちろん、この本が全て正しいとは思わないけど)
「そうだったのかも・・・」と僕は思い当たる。
確かに妻は、生きる意味も結果も問わなかった。
どんなに治療しても、どんなに体にいいことやっても、
どんどん具合が悪くなっていく。
結果、旅行も行けなくなって、
美味しいものも食べられなくなったけど、
「何故?どうして?」なんて言わなかった。
ただひたすら生きることを前提に、
あの病気から生き抜くことだけを考えていた。
出来ることは全部やろうって。
ひたすら調べ、考え、行動する。
これが僕らの闘病生活のパターン。
そういえば彼女とは戦友でもあったっけ。
日本には、
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。
これは、僕が闘病中に自分に言い聞かせていた言葉。
この言葉と相通じるところもあるのかな。
確かに僕も正気を保っている(つもり?)。
だとするなら、最後に子供達にも伝えておきたい。
この世の中、不条理なことが多い。
「出来の悪いアイツが合格して、自分は不合格」
「普段さぼっているアイツのほうが出世した」
「やっと家を建てたのに、地震で壊れた」
「なんでリストラなんだよ?」
なんで、なんで、なんで・・・・・。
人生は不条理との闘いかもしれない。
でもね、僕たちは生きるしかない。
ひたすら生きて、生き抜くこと。
その大切さを知って欲しい。
子供達、もちろん今は
「報われない不条理もある」なんて考える必要は全くない。
そもそも努力しろよって話だし。
でもね、努力しても報われない時、何か不条理なことがあった時、
いつか、そう悟ってくれる日もくるかなあ。
「僕らは全力で生きるしかない」って。
お母さんのように・・・
今日は、そんなこと思いました。
またお会いしましょう。
ありがとうございました。
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