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緩和ケアの先生から影響を受けた話

前回「緩和ケア」の話をしました。その先生に妻は随分と助けられたのですが、実は僕も影響を受けたので、今日はそんな話をしてみます。

その緩和ケアの先生は、処方や知識に関して日本トップレベル。実際、本も出版しているし、新聞や雑誌の取材も頻繁に受けている。

そんなに偉くなると、(人間だし)ややもすると傲慢になってしまいそうな気もするが、その先生は全くそんなことがなかった。むしろ逆で、常に温和で謙虚、どんな患者さんにも優しい言葉をかけて励ましてくれます。

そんな先生だから、妻なんて診療初日からファンになってしまって、毎週会いに行くのが楽しみなんて言っていたくらいなんです。

僕も「あ~、こんな先生もいるんだ」
「こんな先生なら、いくら払ってもいいなあ」
と思ったものですが・・・・・その瞬間、

「あっ!!」と気がついたことがあったんですね。

何を気がついたかと言うと、それは「これがプロだ」というレベル。どの世界でも同じだと思うのだけど、こういうレベルにならないと、やっぱりプロとは呼べない。

僕も当時は独立したばかりで、妻の介護もあったし子育てもあったし、それなりには頑張っていたつもりだけど、でもね厳しいけどビジネスでは、ただ「がんばりました」では話にならない。

というより、それじゃあ飯が食えない。

(独立したからには、)
「この人だったら頼みたい」
「この人だったら払いたい」

そう思われてこそのプロだろうと。実際、その(緩和ケアの)先生には何人もの患者さんが「診てもらいたい」って列をなしているわけだし、診てもらった僕たちも「本当に良かった」と満足している。

今、とりあえず僕も独立しているが、「この人だったら頼みたい」って人、いったい何人いるのだろうか?そんなこと考えると、ちょっと寒気がしないでもない(苦笑)。

まー、そんな寒気がしない様に努力し続けることだし、かと言って「頭垂れる稲穂」の諺通り傲慢にもならないことも大事。(僕にとっては)そんなプロを自覚させてくれた先生でした。

何もメジャーリーガーやプロゴルファーだけがプロじゃない。こんな身近にもプロはいるもんですね。

そういう意味でも感謝です。先生、ありがとうございました。
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プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

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