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嬉しかった親友の一言

P1020297.jpg
妻の友人達がお参りに来て花を添えてくれました。また焼きたてのパンや栗ご飯、豚汁も頂いたり、相変わらず甘えてばかりです。ありがとうございます。

今週、僕の高校時代の親友Tと会食しました。
彼とはもう四半世紀のつきあい。受験時代は共に某○○大学を目指したり(あえなく二人とも撃沈だったけどね)、学生の時は一緒にオーストラリアも遊びに行った。結婚してからは、妻も交えてテニスやったり飲みに行ったりもした。

妻が亡くなった時は、彼はイの一番に駆けつけてくれたし、高校時代の友人達にすぐに連絡してくれて、香典や励ましのメッセージをまとめてくれた。

さらにさらに。彼は彼の両親を葬式の手伝いに来させるって言った(いや、さすがに彼の両親が来ても手伝うことないので、感謝して断ったけど、笑)。

そんな頼りになって(少しおっちょこちょいな面もあるが)、
優しいのが僕の親友のTなのだ。

彼は今、世界の某一流企業に勤めていて、名古屋に在住している。今年は震災やらタイの洪水やらでとっても忙しい日々を過ごしているようなのだが、あのテレビ放映の後に

「昨晩テレビをみました。
涙が止まりませんでした。
大変な想いをしていたんだね。
何も力になってあげられず、
本当に申し訳ない。
人間の存在というか大きさって、
どれだけ前向きに成れるかなんだと、
見ながら感じていました。
今度東京に出張するので会いましょう。」

って連絡があった(いい奴でしょ!)。


そんな彼がね、会食の席で言うんです。

(あっ、一応言っておきますが、ここまでが前置き。
ここからが本論ですよ!眠らないで!苦笑)

「実はさ、あのテレビを観るまで、
ちょっと悩みごとがあったんだ。
でも、あのテレビ観てから、
俺は何てくだらないことで悩んでたんだって。
悩みがぶっ飛んだよ」と、そう言ってくれた。

これは嬉しかったですねえ。

実際のところ、僕も妻が亡くなってから、あまり悩まなくなった気がする。それは、死を目前に控えた彼女の死生観を目の当たりにして、僕も一種の開き直りのような気分が身についた面があるからだし・・・・

それにね、こういう状況ですから、
毎日の家事や育児、それに仕事もあって・・・
全てが順調ならいいですけど、
仕事で面倒なお客さんにゴチャゴチャ言われて、
さらに学校の進路指導やお手紙がいっぱいきて、
その上、子供が病気になったりすれば、

「できるか、馬鹿!」
みたいな気分にはなりますよ(笑)。

(もちろん、心で言っているだけですからね、一応)

だから「悩むより行動」するしかないわけで、
多分あんまり悩まない状況になっているんだと思うのだが・・・・


んっ?!
閑話休題です。

話がそれてきました。

親友Tの話に戻します。
そう、彼があのテレビを観て、そんな気分になってくれたのはとっても嬉しいこと。彼女の生きた証しって、大袈裟なものじゃないけど、ちょっとでも僕の親友の励ましになったのだから、なんだかジーンときた。

「ありがとう、T」

もちろん家に帰って、
「そんな事があったよ」って妻に報告して
お線香上げてみました。


そんな感じです。


ではでは。
どうもありがとうございました。


●追伸
沢山のお便りに返信できていません。
本当に申し訳ありません。

でも全部読んでいます。
凄く励まされています。

よかったらまた送ってくださいね。
そのうち時間が出来たら返信もできるかもしれませんので。
すみません。

友達が福島原発への転勤になった

僕には東京電力に友達がいるのだが、その友達がこの7月から福島原発への転勤の内示をもらったとメールがあった。なんでも今の社員の被爆線量が大きくなっていて、その交代要員になっていくらしい。

その友人曰く「ずっと原子力で働いてきたから、自分に責任がないとは言えない。放射能は浴びるけど頑張ってきます」とメールにあった。

あいかわらず清々しいメールだったけど、もちろん嫁さんと子供は東京に残して一人で単身でいくわけだから、さぞ不安だろうし辛いことも多いと思う。

それにしても人生何があるかわからないもの。

本当にお疲れさまとしか言いようがないが、福島のため日本のために彼の健闘を祈りたくなりました。

ペコちゃんのご冥福をお祈りいたします

妻と同じ病気を患っていた「ペコちゃん」のブログをたまに読んでいました。

若年性乳がんになっちゃった! ペコの闘病日記

今日、ペコちゃんが亡くなったことを知りました。

妻とペコちゃんは同世代。
乳癌でトリプルネガティブという状況も同じだったし、
術後の再発の仕方もそっくりでした。

だから、妻は元気なペコちゃんのブログを読んで自分を励ましていました。
いつか自分も元気になれると・・・・

そんなペコちゃんが亡くなり、
今日は、僕も何だか虚脱感に襲われました。

ご家族の悲しみと本人の無念を思うと涙が出ました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。
お疲れさまでした。

●追伸
ペコちゃんと天国で友達になったかなあ。

美優ちゃんがんばれ!

お正月、高校の同級生に会った時、
同級生の姪ッ子が心臓病を患い、渡米して、心臓移植を行うための募金活動を始めたことを知りました。

こういう話を聞くとね、やっぱり妻の長かった闘病生活を思い出してしまいます。

一人ひとりの力は限られていますが、
少しでも多くの方にご協力いただければと思い、

美優ちゃんがんばれ!」のサイトを掲載させて頂きます。

私自身も微力ながら協力しましたが、もし皆さんもご理解いただければ、ご協力(募金、知人への声掛け)してあげてください。

↓のサイトに詳細があります。
http://www.miyu-aid.com/home/index.html

ちょっとだけど寄付してきました

妻の最期を看取ってくれた看護師さん達から手紙を頂きました。
手紙には、僕の生活を気にしてくれたり子供のことを心配してくれたり。

ありがたくもあり、
なんだか懐かしくもあった。

ちょうど僕も「癌の研究費」を寄付しようと思っていたところだったので、手紙のお礼も兼ねて久しぶりに病院に行ってきました。

すると、優しかった先生と看護師さん達がいて、
窓の風景、ウッディな壁、そして妻が亡くなった病室がある。

そこは、何もかもが当時と同じままだった。

さらに(妻が亡くなった)時期も同じだったので、
(あの時と同じ)クリスマスツリーもあった。
P1010008.jpg

そういえば、ここで一緒に最期の写真撮ったなあ・・・
と思いだし、少し感慨にふける。

その写真を撮ってくれた看護師さんも、
「最期にここで写真一緒に撮ったね」なんて覚えてくれていて、
あの頃のことを思い出し、懐かしく話しこんでてしまった。

話せばそりゃ涙も出てくるけど、
あの壮絶だった闘いも、今は思い出となりつつあるのだろうか・・・
と自分の心境が少し変化しているような気もした。

話が終わるとサプライズで、
看護師さん達から、何と僕たち家族に対して
クリスマスプレゼントとメッセージカードが手渡された。

嬉しかったなあ!
ありがとうございました。

1年前に妻が癌で亡くなった時、僕は癌が憎かった。
だから、1年間稼いだ中から「癌の研究費」として少しでも寄付しようと決めていたんだけど、今年は「雀の涙」みたいなもの。

来年は、もう少し寄付できるようにがんばりますね。
いつか人類が癌を克服するために。
プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

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