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中国へ行ってみる話

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昨日は妻の月命日。義姉からお花が届いたので、線香を焚いてお供えしました。いつもありがとうございます。感謝です。

突然ですが、4月23日~26日、僕は中国に行くことになった。中国の杭州に住む(中国人の)友人が、あちらの会社で部長に昇進したそうで、そのお祝いと僕のビジネスを中国で展開できないか?を探りに行ってみるためです。

実のところ、僕は中国人が苦手である。今まで何十人も中国人とビジネスをやってきたけど、価値観があわなくて、結局友達になれた中国人は、その杭州に住む彼1人だけだった。

その彼は、本当に中国人にしておくのはもったいないくらい(と言ったら怒られそうだが)日本人らしい。そんな彼がいることもあるし、何より今後の日本の将来を考えた場合、やっぱり中国でビジネスの足掛かりを作っておくことが必要な気がするので、今回の中国行きを決めた。

そりゃ僕だって日本が大好きだし、日本人に生まれて良かったと思うが、しかし今後も日本で、「同じような生活」をするためには、日本でよっぱど付加価値を創出できる才能をもっているか、経済成長が著しい新興国のマーケットでビジネスを展開するか、そのどちらかを選択しなくちゃいけない日がくると思う。

それほど日本の将来はヤバい気がする。
国の借金、少子化、政治、etc・・・・

まあ、この話は置いておこう。
とにもかくにも、中国に行くことになった。

4月23日:成田から上海、
4月24日:上海見学
4月25日:新幹線で杭州へ、友人と打ち合わせ、その後また上海へ
4月26日:帰国

そんな慌ただしい感じで日程を決めた。さてさて、どうなるか。
これもまた楽しみである。

確定申告をしてきました

昨日、税務署に行って確定申告してきました。
やっぱ、この日が終わると気分が晴れますねー。

たぶん税理士さんに頼んじゃえば作業も楽なのですが、今は節約という意味もあるし、(独立2年目なので当面は)自分で理解したいという意味もあって、会計処理は全部自前でやってます。

そりゃ、確かに凄く面倒です。

でもね、「会計」は人類の偉大な発明と言われるだけあって、勉強してみると結構面白い。特に「仕訳」から「決算書」までズレなく数字が出来ていく美しさ、これはパズルを解くような(マニアック的な)楽しさもあるわけで、僕自身は作業自体は割と好きだったりする。

と、まあ、そんな事はどうでもいいのですが、今年「医療費控除」の整理をしていて、ちょっと気がついたこともあった。

昨年までの「医療費」は、高額療養費の対象になって多くが戻ってきた感じがしたのですが、今年はその割合が少ない、と。

これは何を意味するのか?と考えてみた。

高額医療費の対象は同一人物・同一病院が条件だから、その割合が少ないということは、要するに、

色んな病院に行って色んな治療を受けて、民間の抗癌剤も沢山買いましたよ、ということだ。

結果、数字となって出てきたのだ。

昨年、妻が末期癌になった時に「悔いなくお金を使おう」と決心していたので、そんなお金は惜しくもなんともないのですが、こういう所にも数字となって出てくるんだなーと、妙に感心した今回の確定申告でした。

もうすぐ確定申告の季節ですね

普通に会社に勤めている場合は関係ありませんが、我が家のように医療費を沢山払っている場合や、自営の場合は、また面倒な季節がやってきましたね(笑)。

そう、確定申告の季節です。

まあ、僕の個人事業の申告もそれなりに大変なのですが、今年は医療費控除の申告も特に大変です。
だって、見てくださいな。↓こんなに医療費の領収書があるのです。

領収書の山

この医療費の領収書からデータを抜き出し、医療費支払いリストを作成するのです。もう、これ見ただけで、すでに頭が痛いのですが(苦笑)、今、一応ざっくり数えただけで400枚程度の領収書がありました。

っん?400枚も・・・?!

「何で400枚もあるのか?」と一瞬思ったので、さらにもう少し仕訳してみると、駐車場の領収書が約150枚、診察の領収書が同じく約150枚、他の領収書が100枚(ドラッグストア等で購入した薬とか)、だいたいそんな感じになりました。ということはですよ、

昨年は約150日も病院に通ったことになります。

思い起こせば、妻の場合、「外科」・「化学療法」・「緩和ケア」・「漢方」の主な4先生に加えて、適宜、「放射線科」・「脳神経外科」「歯科」「眼科「耳鼻咽頭科」の各先生にも診て貰っていました(癌になると色んなところが悪くなるのです)。

そう考えると、そのくらいの領収書が溜まっても当然なのですが、それにしても改めて「よく通ったなあ」と感慨深いものがありました。

しかも病院に通うのだって、車で往復2時間半、治療も待ち時間を含めれば、これまた2時間半。

合計5時間程度で、それが150日です。「お互い頑張ったなあ」「お疲れさま」と、昨年の激闘を思い出し妻の労をねぎらいました。

う~ん、それにしても、この領収書を1枚1枚見て、データを抜き出しエクセル表を作るのは少々面倒だ(苦笑)。昨年までは全部妻がやっていたのですが、試しに僕が2,3枚試したところ、1枚30秒程度の時間がかかりました。慣れれば、1枚15秒くらいか。

400枚だったら、3時間~4時間程度かな。僕は仕事も家事も忙しいので、報酬1万円くらいで誰かに頼もうかな。いいバイトになると思うし。会社(時代の)の後輩か、もしくは誰か挙手ありませんか?東京在住の方なら、まじにお願いしたいと思っておりますよ。

まあ、もう少し日があるので、この作業は明日以降考えることにして、
今日のところは、これまでです。

ではでは、お休みなさい。

●追伸
あっ、そうそう、このお話には前置きがあるので、
こちらの前置き
もクリックしてお読みください。

最後のひと磨き、久しぶりに飲み会に参加

仙台の笹かまぼこ
今日も同じマンションのMさんからお土産を頂きました。「仙台の笹かまぼこ」です。好きなんですよね~。こんがり焼いて、わさび醤油とビールで至福のひと時を過ごしました。ありがとうございました。


今週日曜日、久しぶりに飲み会に行って来ました。正式名称は忘れましたが、その趣旨は「独立して起業した人の会」ということで、まあ一種の異業種交流会です。誘ってくれる友人がいて、参加してきました。子供達はどうしたか?というと、実家の母に上京してもらいました。助かりました。ありがとうございました。

さて、何でそんな飲み会に参加したのか?というと、一言で言うなら「ちょっとビジネス的な刺激が欲しかった」という感じでしょうか。その理由を今から話してみますね。

僕は自分で言うのも何ですが、左脳人間なんです。ビジネスでも何でも、わりと論理的に考えてから実行する。(亡くなった)妻は右脳人間で、論理というよりも直感が優れていた。だから、僕が色々とあーだこーだと考えて苦労して苦労して、やっと辿りついた結論を、彼女があっさりと「そんなの知ってたよ」と言われることがよくありました。

「何で知ってるの?」と僕が聞いても、そこに論理の積み重ねが無いから、彼女は理由を明確には言えないのですが、「だって、そうに決まってんじゃン」みたいなことを平気で言ってましたね。

まあ、左脳人間にとっては脱力する瞬間でもあります(笑)。

でも、僕が独立して自宅で一人で仕事するようになってからは、妻がある意味でビジネスのいい相棒にもなりましたよ。もちろん妻は、僕の仕事内容については全然詳しくなかったのですが、それでも、僕が「今度こんな感じでやってみようと思う」と話すと、どういう直感が働くのかよくわかりませんが(苦笑)、妻は「それはいいよ」「それはちょっと駄目」とか意見を言ってくれて、不思議なことに・・・・・

その直感があたるんですよ(苦笑)。

だから、僕は自分のビジネスで、例えるなら彼女を最後の研磨師と思っていました。熱い鉄を打ち形を整えるのは僕、最後の「ひと磨き」は彼女、そんな役割分担でした。

彼女が亡くなり、僕がビジネスを再開して10日経ちます。大枠で言うと、ほとんど今まで通りの仕事が出来ているのですが、でもね、やっぱり彼女がいないと最後の「ひと磨き」が足りない気がする。なんか「切れ味が悪い」まま出荷するという感じなんですね。

そこで、今回の異業種交流会への参加となったわけです。

この交流会では、皆が皆、独立して自分の事業を手がけています。お互いに「今、こんな事業をやってます」「こんなことやったら失敗しました」「この方法はうまくいきました」と発表し、そこに周りのみんながツッコムという会合です。

そのツッコミが・・・
きっと最後の「ひと磨き」になるはずだ、というのが、今回の僕の作戦でした。まあ確かに皆から「ひと磨き」してもらいましたが、それで本当にうまくいくかどうかは、もちろん別問題。でも、とりあえず色んな方とも知り合いになれたし、またなんか新しい展開もあるかもしれません。

そんな感じでしたね。
久しぶりに少し酔いましたよ。

ではでは、またビジネスに邁進しますね。

ありがとうございました。

四十九日を終えて決心したこと

妻の四十九日を終え、僕は一つ決心しなければならないことがある。

それは、「仕事」のこと。

実を言うと、「仕事」は去年の10月に全てをキャンセルしてから、今にいたる4ヶ月間何もしていない。(変な言い方だが)仕事をしなかったことは本当に良かったと思っていて、妻の最後の闘病生活を完璧に一緒に(仕事に邪魔される事なく)過ごすことが出来た。

だから後悔がない。It's my pleasure.

だが、(現実的には)この4ヶ月だけでも3枚の請求書がきていたりする。それは入院・治療費用、民間療法で中国からとりよせた漢方の抗癌剤等々の費用、それに御葬式代、

あわせて500万円超になる。

幸いにも、今までの貯金、親族の援助や香典で払う事はできるが、それでも、ニコニコと屁でもなく笑って払えるほど僕は金持ちでない。だから、そろそろ、いやとっくに仕事を再開しなければならなかった。

・・・・が、しかし、である。

ずっと仕事をやる気がおきなかった。(仕事以外の)育児と家事は、どうしても必要に迫られるから、強制的にスタートせざるを得なかったのだが、こと仕事に関しては、幸か不幸か、僕は独立して仕事をやっているので、何も強制力がない。

毎日、毎日、仕事をする時間になっても、なんか昔の写真を見たり、動画を見たり、人生って何だ?って考えたり、このブログ書いたり(苦笑)と、適当にダラダラと時間を使って過ごしている。

妻が亡くなったばかりのころは、何かそうやって過ごすのが妻の供養にもなる気がしたのも事実である。だって、僕は美味しいものも食べれるのに、妻は食べれない。僕は仕事できるのに、妻はできない。僕は普通に生きているのに、妻はもういない(涙)。

だから、当然僕も何もしないほうがいい・・・みたいな。

でも、最近やっと落ち着いて冷静に考えると、たぶん妻はそんな事は望んでいないだろうと思うようになった。むしろ逆なんじゃないかと。ただ毎日をダラダラと過ごすよりも、毎日を「けじめをつけて善く生きる」、これこそが妻の望みであり、あの闘病生活から学んだことではなかったのか?と。

僕の場合、毎日を「けじめをつけて善く生きる」ためには、当然仕事が必要となってくる。いや、現実的にも仕事でお金が入ってこないことには、いつかは経済的に生活が行き詰ってしまう。

今、ちょうど妻の四十九日も終わった。少し一区切りするにはいい時期だ。だから、明日から仕事を再開しよう。がんばらなくちゃね。今日は、そんな気持ちを整理するためにも、ここに文章を書いてみました。

テーマ : パパの育児
ジャンル : 育児

プロフィール

ジョン

Author:ジョン
1968年生まれ、男性。
1996年に結婚。
1998年長男ユータ誕生。
2002年次男ピースケ誕生。
2005年妻が乳癌発症。
2005~2009年、闘病生活。
2009年妻が38歳で他界。

東京で男3人暮らしが始まる。

大学卒業後、日本有数の大企業に就職するも、ちょっと自分の人生観と違った(?)ので2000年に退社。その後、ベンチャーや転職を繰り返す。

2008年にフリーで稼げるようになって何とか独立。後は苦労をともにした妻と人生を謳歌したい・・・・そんな夢も実現できると思っていたのに、病気だけは何ともなりませんでした。無念です。

最後の1年間は僕もフリーで時間があったし、家族一緒に色々と旅行しましたよ。幸せのひとときでした。写真は最後の沖縄旅行で妻が撮影したもの。この旅行も家族のいい思い出になりました。

さて、これからどう生きるのか?家事は?育児は?仕事は?一応、このブログに綴ってみます。どうなることやら。

では、では、いってみましょうか。

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